私の手は人生を語ってる?

フジコヘミングから
自分の生き方を考える

私はフジコ・ヘミングの手が好きです。


まるで長年農業をやってきたような、
ゴツゴツした繊細さの感じられない指。


私の実家も農業でしたが、
彼女の手は、
私の祖母の手を思い出させます。


良いところのお嬢さんだった祖母は、
農家の祖父の家に嫁ぎ、
嫌々ながらも土いじりをしていました。




フジコ・ヘミングのゴツゴツした指が
織りなす音を聞いたことがありますか?


私が初めて彼女を意識したのは、
緩和ケア病棟である女性と出会った時です。


フジコのピアノが好きで、
病室やホールで一緒にお茶をしながら
ひとりで聞いていました。


「フジコの生き方が音に表れている」


そういう言う彼女は、
不遇だったフジコの半生と
癌になった自分を
重ね合わせていたのでしょうか?



彼女はピアノを弾いて、
華道の師範でもありました。


私とは接点がない人でした。


それが癌を通じて、
私と知り合うことになりました。


「癌が縁だけど、
あなたに会えたからラッキー」


前向きの彼女ですが、
夜になると、
静けさが現実を
突きつけるように感じるのか、



「いつ夜勤?」
とよく聞いてきました。


夜勤の深夜。


約束の時間に病室に行くと、
フジコ・ヘミングのピアノが流れており、
私たちは一緒に聞きました。


照明は消していました。



表情を見られたくないと、
窓からの自然の明かりで
彼女のシルエットだけが見えていました。


表情は見えなくても、
静かに話す声のトーンやため息、
まとわりつくような不安、
諦めきれない微かな希望の言葉、
そして何よりも彼女の持つ
強いエネルギーが感じられました。


看護師のなかには、
末期の患者さんと何を話してよいか
分からないので、
バイタルサインをとって終わると
落ち着かないという人がいました。


私は看護師になったばかりの頃、
先輩看護師に言われました。


「看護師と患者の間には境界線がある」から、
そこから踏み込んではいけない。


ずっとその境界線がどこにあるか?
考えていました。


気づいたのは、
境界線なんて自分で好きに引いちゃえ!


他の人からは踏み込み過ぎと言われたって、
私はこの時間が大好きでした。


患者さんというか、
その人からのギフトでした。


その場所、その時間に
一緒に在ることを許されたみたいな。


もちろん患者さんは病気になんて
なりたくありません。


彼らは癌と診断されて、
緩和ケア病棟にくるまでに
さまざまな課題や悩みを乗り越えたり、
諦めたりを繰り返してきます。


私はそんな彼らに会えたことが、


「嬉しいです」


と受け持ちになった患者さんに
挨拶の時に言っていました。


私が看護師にならなかったら、
彼らが癌にならなかったら、
会えませんでしたから(^^)


先日、病気になった自分を
「せっかく病気になったから!」
と言う方がいました。


「せっかく!」


素敵で切ないな言葉です。


「どうせ」とか「なんで」とか
言うより「せっかく」の方が、
後に続く言葉は元気な感じがします。


フジコ・ヘミング


本名ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコGeorgii-Hemming Ingrid Fuzjko


ピアニストというよりは、
生活感のある彼女の手の奏でる音は、
何も危険を犯したことのない
綺麗な手が奏でる音よりも、
不条理な現実の生々しさや逞しさが
感じられて大好きです。


私は手を見たら、
その人がどんな人生を歩んできたのか
分かると思います。


働いて誰かの役に立ってきた手。


でもきちんとお手入れがされていて、
自分を大切にしていることが
分かる手。


それにしても、
彼女の溢れんばかりのバイタリティーは、
私もまだまだ若いし、
何でもできる気にさせてくれます(*´∀`)♪

2018/11/13
あなたの "専属らいふコーチ" 川島初代