愉遊人生と定年後の生きがい


カール・ヒルティの幸福論を超訳したという、
齋藤孝の著書を読んでいる。



幸福論とあるが、
気持ちが凹んでいる時は、
幸福であるためのヒルティの言葉が
ちょっと刺さります(≧∇≦)



それはさておき、
「安らぎや満足感に満ちた休息も、
仕事をしている人でなければ味わえない」
とある。



働くことで生きがいや
やりがいが持てる。



苦難があることで、
それを乗り越える達成感がある。



仲間と分かち合う共同体の感覚や
所属している感覚が持てる。



働くことは、
社会の役に立っているという
貢献感も満たしてくれる。



確かに、
働くという時間と場があるからこそ、
休息の時間がより愉しく
感じられるのは分かる。



じゃあ、仕事をリタイアしたら、
どうする?


先日もテレビとかで、
「定年後はどうしますか?」
と質問しているのを見ました。



「旅行します」とか
「これまでやれなかったら趣味をやります」とか、
「何も考えてない」
という人も結構いました。



「老後に備えて働く」という人もいます。



私は親の介護と自分の健康面の問題もあり、
早めにリタイアして、
新たな生き方を模索する過程で
コーチングに出会えました。



思うに、
生活の核となるモノがあれば、
それが仕事だろうが趣味だろうが、
私は構わないと思っています。



要は生活にメリハリができ、
そこそこ規則性ができたらいい。



だらだらは良くない。



看護師をしていた時も、
1日もしくは2日の
休日のだらだらはご褒美に感じました。



でも必要ない時に、
3連休なんてつけられると、
「することないし、しんどい」
と有休を返上する人もいました。



本当に必要な時のために
有休を取っておくと言うが、
突然休みをくれたって
時間の使い方が分からないが本音。



だって毎年、ほとんど有休は消化できず、
繰越してましたから( ̄▽ ̄;)



定年後の自由時間は突然ではないけれど、
多少はどうするか?
考えておかないと、
「突然」になってしまう。



ヒルティではないが、
せっかくの自由時間をより味わうためには、
対局のちょっとストレスがあるとよい。



ストレスは生活をイキイキさせる
スパイスと思っているが、
効きすぎたらキツイ。


私は若い頃に
ボランティア活動をした経験があるけど、
還暦を過ぎてやってみたい!と考えてます。



ボランティア活動は、
ほどよいストレスで社会と繋がれます。



ボランティアには
無償もあれば有償もあります。


少なくてもお金を貰えるのは、
やりがいにも繋がります。



私に言わせるとボランティア活動は、
一石二鳥どころか、
腕前によっては、
何羽でも撃ち落とせるくらい、
定年後の私たちには愉しい場に思えます。



ふと考えてみる。



うちの家族の母方は、
日本人の平均寿命よりも長生きです。



私もその波にのったとして、
90歳の私が過去の思い出を振り返ると
定年前は30年以上前になります。



キラキラしていた(^^)/20代なんて、
老眼とボケも手伝って
かすんで見えないよ~!



そんな過去のキラキラも良いけれど、
どうせなら、
その後の「愉遊人生」も面白かったー!
と弾んで語りたい。



凹むことも愉しいことも、
まるごと面白がりながら日々を生きて、
気がついたら
「あら!いつの間にか90歳?」



そんな人生も悪くない(^^)

私の人生はそろそろ夏の終わり?
それとも秋に入ろうとしてるのかな?
2018/11/14
あなたの "専属らいふコーチ" 川島初代