私のプロフィール


1961年 高知県高知市生まれ。中高一貫の女子校を卒業後、京都ではじめての一人暮らし。龍谷大学短期大学部社会福祉学科で学びながら、ひたすらマンドリンの練習に打ち込む。保育士(あの頃は保母)の資格を取得し、大阪の児童養護施設で住み込みで働く。

4年間、幼児から高校生までのお子さんの親代わりとして働くが、体を壊して手術となる。健康を損ねたことで、心機一転、他のことをやろうと思い立ち、JAICAの青年海外協力隊に応募。一次試験は合格するも、二次試験の身体検査で不合格。


気分を変えて、ワーキングホリデービザでオーストラリアへ。シェアハウスして現地の方と住みながら働くが、そこでテコンドーにのめり込む。


オーストラリアからの帰りに、香港へ行き、中国のビザを取得。中国をバスや列車を利用して、一人で旅行していたが、交通事故に遭遇。広州の人民解放軍の病院で手術を受ける。


折しもゴールデンウィーク前で、日本行きの飛行機が取れないため、タイのバンコクへ飛ぶが、そこでも日本行きの飛行機が10日待ちのため、チェンマイを旅行して、帰国の途につく。


両親と不仲だったため、大阪の知人宅に3ヶ月居候し、リハビリを受ける。その間に、天安門事件が起こる。その後、高知に戻り、1年働いてスペインへ語学留学する。


スペインのサラマンカの語学学校へ通いながら、スペイン国内やポルトガルを旅行する。3度めのポルトガル旅行からの帰り道、レンタカーの助手席にいた私は、正面衝突事故で首の骨を折る。


サラマンカの病院で手術を受ける。リハビリ目的で敢えなく帰国。昭和天皇が崩御されあとで、日本に帰ると平成で、消費税が始まっていた。


気持ちを切り替えて、リハビリとボランティア活動に専念し、観光案内の通訳や生態系保護を行う。また、社会人にスペイン語を教える機会を得たが、その時の生徒のすすめで看護師を目指す。


33歳で正看護学校へ。36歳で正看護師となる。20年間、看護師として働く。救急・災害、手術室、診療所、緩和ケア病棟など。上司のパワハラでメンタル不調となり退職。


東京のプロコーチ養成スクールへ通学、コーチを目指す。


結局、結婚はせずに今に至る。祖母、母親そして父親を順に10年間介護、看取り、現在は猫のマールと同居。新型コロナウイルスにもめげず、ゆるゆると半自粛の日々を送りながら、メルマガを書く日々です。






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所有資格


保育士(4年)
正看護師(20年)
プロコーチ養成スクール:アナザーヒストリー現場変革リーダー養成スクール
リンパドレナージセラピスト

2018/11/15
あなたの "専属らいふコーチ" 川島初代