「自立」と「自律」の使い分けってしてますか?
発音したら同じだけど
意味が違うんですよね。
「自立」とは、
自らを立たせること。
その為に必要なものには3つあります。
・技能的な自立として、
知識や技能をつけること。
・経済的な自立として、
経済力をつけること。
・そして、身体的な自立として、
他者の介助を受けずに、
食べる・歩く・寝るなどの
基本的な生活行動を一人でできること。
健康であるということ!
当たり前と思いますか?
でも、「自立」って簡単に失うんですよね。
私も病気になったり、
交通事故で動けなくなった時、
一人では何も出来なくて。
どれだけ「自立」した生活を送ることが
人としての尊厳に繋がり、
大切なことか思い知りました。
「自立」の反意語は「依存」になります。
だからその「依存」している自分を
受け入れる必要があり、
それには援助を受ける側と援助する側の
双方の関係性が大切です。
ヨコの関係が理想ですが
なかなか、、、ね。
それから、「自律」。
これは自らを方向づけることです。
ぶれない、自分の軸を持っている人は、
自らを律するための判断や行動の
判断基準・価値観とか信念みたいなものを
しっかりと持ってますよね!
「自律」の反意語は「他律」です。
ただ、私はたまに他律のこともあります。
自らを方向づけることが大切だとは思うけど、
たまには他者の視点も取り入れてみる。
そうすることで
さらに自分の軸が明確になることがあるし、
視野や視座が広がるから。
最後に「自導」。
内なる自分と対話して
本当はどうありたい?
まさにコーチングの制約のない未来(ゴール)を
ありありと思い描く!
ワクワクの未来思考です。
よく人生は航海に喩えられますよね。
まさに
「自立」の船を造る。
「自律」の羅針盤を持つ。
「自導」のワクワクの目的地を描く。
私はどうなんだろう?
自分の人生を振り返ってみると、
いつも「自立」を確立したくて
足掻いてる自分がいます。
健康って本当に大切ですが、
100%健常者っていませんよね!
どこかでお互いに支えあい、
共存・共生しても良いと思ってます。
そんな自分を受け止めることが
「自律」そして「自導」への一歩かな。
自分の生き方に迷いなく進んでいく
自分を実感する時と、
たま~に
「あっ!漂流してるー!」
って焦っている自分がいます。
目的地への地図、航海図?を
手にしたと思っていたけど、
軌道修正しないといけなくなったり。
でも、目的地に縛り付けられて
動けなくなるより、
新たな自分にしっくりくる目的地が
見つかったら、
そっちへ舵を切るのもあり!
な私です。
避けたいのは、
同じ場所でぐるぐる回ることかな。
とにかく、動く!
動いていたら、
何かにぶつかるかも知れない。
良くも悪くも。
だから面白い!
要は如何に生きている間を
楽しくごきげんにいられるか!