言葉は眼の邪魔になるものです。
たとえば、野原を歩いていて
一輪の美しい花の咲いているのを見たとします。
見ると
菫(すみれ)の花だと分かります。
何だ、菫の花か、
と思った瞬間に、
もう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
私たちの心の内に入ってきたら、
もう、眼を閉じるのです。
それだけ、
黙って物を見るという事は難しいのです。
これは、小林秀雄の言葉です。
「ああ、それなら知ってるよ」
まるで、カメラのシャッターを押して、
菫の花の写真を撮って、
所有・記録したら、終わりみたいな。
字面だけなぞって「分かってる」
断片的な知識だけで「知っている」
「知っている」
そう思った瞬間に、
興味も関心も示さなくなり、
薄っぺらの知識の切れ端しを蓄えていくみたいな。
今の社会、
Facebookを見ても
Twitterを見ても(これはやってないけど(^^)v)、
物凄い量の媒体から情報が溢れかえっていて、
「知っている」レベルで留めておかないと、
ネットサーフィンみたいに情報の波に乗れません。
でも、この「知っている」
が私たちの学ぶ心を妨げていて、
「知る」「モノにする」チャンスを
奪っていると思いませんか!?
そもそも、
私たちの脳も新しいモノ、
刺激の強いモノが好きらしいんです。
だから、無意識に意識して、
「知っている」という思い込みを外してあげて、
そのモノに向き合ってみる。
そのモノと対話してみる。
「知っている?」
「何を知っている?」
「本当に?」
そのモノの裏っかわは、どうなってる?
触ってみたら?
においは?
そのモノの下を掘ってみたら?
「知っている」という思い込みを脇において、
その代わりに
「好奇心」とか「ワクワクする心」を
お伴にしたら、
何が見えてくる?
実は、看護の世界だけではないけれど、
私も病院で働いていた頃、
よく目にした光景があります。
それは、スタッフに対しても、
患者さんに対しても、
履歴書とかカルテ、情報提供書から得た情報だけで
人を「知ったつもり」の看護師が
多いということです。
あなたの病院では、
そんなことないですか?
ない?
本当に(*´∇`*)
羨ましい
リーダー看護師さん。
スタッフのことを「知ったつもり」になったり、
レッテルを貼っていませんか?
そのスタッフが、
どうして看護の仕事についたか知ってますか?
何がそのスタッフのやる気を上げるか、
知ってますか?
そのスタッフの目指すゴールは何か!
知ってますか?
そのスタッフにとって
看護とは?仕事とは?
そもそも、
そのスタッフのフルネームを知ってますか?
挙げていたらキリがないけれど、私
なんて本当に知らないことだらけでした。
コーチングでは、
クライアントのことを何も知らない
という前提で話を聴かせてもらいます。
知らないということを知っている。
知らないから、相手に教えてもらう。
そう思ってクライアントと共にいます。
看護の仕事もコーチングも、
同じ対人支援の職種です。
ただ、元看護師の私が
コーチングを学び始めて残念!と思うのは、
どうしてもっと早くに
コーチングに出会わなかったんやー!です。
もちろん、
コーチングを知らなくても、
相手のことを知ろうとしていたし、
仕事に支障はありませんでした。
でも、「知る」の質が違ってたなあ。
まあ、過去を振り返っても仕方がないし、
「知ること」を
始めることから始めます(^^)/