「もしドラえもんのポケットがあったら
何をだしますか?」
台風も来てるし、
来客も無いだろうとコーチング練習。
練習熱心?
ひま人?
物好き?
でも気心が知れて、
質の高いセッションの
練習相手は貴重な存在です。
そんな彼の本日のやりたいことが
「ドラえもんのポケット」。
コーチングでは
「何の制約もなかったら~」とか
「物凄く自分にとって都合よく~」とか
「目が覚めて奇跡が起きていたら~」
みたいに質問するのですが、
それを彼はドラえもんで
やりたいと言い出した(゜ロ゜)
おもしろそう。
「ドラえもんのポケットがあったら、
何を出したい?」
「朝までぐっすりと目が覚めずに
寝られるベッドが欲しい」
若い頃のやんちゃのツケで
左半身と両足底の痺れが酷くなった。
それと、頚部のひきつり?
というか痺れか。
まあ、物凄いスピードでの正面衝突で
首の骨を折ったから、
生きてるだけで丸儲け。
そう思ってやってきたけど。
ちょっと欲を出すと
反動が超強烈!
数時間の欲で
数日間は半寝たきり状態。
と言っても、
横になってスマホで資料作成とか
ブログ書いてるし。
でも、本当にドラえもんのポケットがあったら、
後遺症が無くなることは願わないけど、
1週間とか言わないから
ひと晩でいいので頭痛で目覚めない夜がいい。
だってここまで後遺症と付き合ってきたので、
今さらこの痺れがない自分が想像できない。
面白かったのは
そんな素敵なベッドが欲しいという
思いから派生して、
・後遺症を受け入れて、
出来ることをやろうという諦めの自分
・後遺症の症状が酷くなってもいいから、
やりたいことをやろう!という前向きの自分
・無理すると後で堪えるけど、
後遺症を言い訳にするのが嫌で
まわりの期待に応えようとする自分
色んな思いに気づくことが出来ました。
こうやって言語化すると、
岸見一郎さんの「幸せになる勇気」に
ある「三角柱」を思い出す。
「かわいそうなわたし」
「悪いあの人」
そして
「これからどうするか」
元気に「今」を生きている時には、
「かわいそうなわたし」も「悪いあの人」も
出てこないけれど、
ちょっと具合が悪くなると
ついつい口にしてしまう。
それから看護師時代も今と同じように、
まわりの看護師仲間とか
患者さんの期待に応えようとして、
他人の望む生き方をしていた気がする。
もちろん看護という仕事が大好きで
天職だと思っていたけれど、
体は悲鳴をあげていた。
あの頃はそんな体の声は無視して
無理に仕事をしていたんだね。
そうなんだよね。
結局、自分で自分を大切にしていく!
他人の思惑とか期待に合わせて
無理して行動するのでなく、
自分の人生を生きることが大切なんだよね!
「どうしたらよいのか?」
「どんな状態になったらよいのか?」
今、コーチングを始めた私は
体と心を整えることを大切にしている。
まずはコーチである自分が
リソースフルな状態である。
研ぎ澄まされてあるけれど、
柔らかさも併せ持つ。
そんな柔らかい体と心で
クライアントさんと対話すると、
直観を信じて質問できる。
自分自身を信頼できることが
他者への信頼に繋がっていく。
看護師からコーチになった私ですが、
今が人生のなかで1番
等身大の自分でいる。
すごーい!
ドラえもんのポケット(о´∀`о)
あなたなら何を
ドラえもんのポケットから出しますか?
それを出したらどうなるの?