コーチに信頼と愛を感じてますか!

よりコーチングを機能させるために



最近は小学生でも、
マイコーチをつけているケースが増えており、
世の中、変わったなあと思います。


両親とも違う
学校の先生のように評価する大人とも違う、
そんなニュートラルな立場の大人と
早い段階でヨコな関係を
築くことを覚えるのは有意義だし、
ちょっと羨ましい。


もしかしたら、
塾に行くのも良いが、
回数を減らしてマイコーチを
つけるのも、あり?


私には子供がいないけれど、
もしいたら、
マイコーチをつけたいもんです。


自分と対話する質問を
投げ掛けてもらえる機会を得ることは、
それからの長い人生で
判断したり
決断したり
選択したり
あらゆる場面で役に立ちます。


そんなことを考えていると、
ふと、それなら自分の質問はどうだろうと
考えてしまいました。


というのも先日、
大変コーチングをする上で学びとなる
セッションを受ける機会があったからです。


テーマに対してのコーチからの質問が
「これ迄で最も楽しかったことは何ですか?」


コーチングではよく使われる
質問ですよね。


過去のプラスの記憶をたどり、
臨場感たっぷりにその場面を
ありありと思い出していく。


そこから価値観とか譲れないこだわりとか、
大切なエッセンスを抽出して
じっくりと(私の場合)熟成・発酵させ、
薫り楽しみながら
そんなエッセンスを含んだ未来をみる。


でも不思議なもんで、
同じ質問をされても
何も浮かばないことがあります。


そうかと思えば、
記憶の宝箱の箱の隅っこにへばりついて
忘れ去られていた記憶と
巡り会うこともあります。


今回は見事に何も
浮かんでこないんです。


私も???の中、
必死こいて過去に戻りました。


違いは何だろう?


コーチの臨場感たっぷりの雰囲気つくりとか、
その時のクライアントである
私の状態もあるけど、
やっぱり信頼関係かなあ。


質問による対話の中から出てきた
自分の言葉を受け止められなかったり、
評価を下されると、
質問がだんだんと詰問に感じられます。


確かにコーチングをしていると、
クライアントさんが迷走していて
ループから抜け出せなかったり、
間違った認知の場合があります。


でも、間違ってるとコーチが思った瞬間、
それはすでにコーチが評価を下しているし、
コーチの視座からみて間違っているのであり、
クライアントさんにとったら
それが真実であり事実なんですよね。


セッションが始まってから
ずっと感じていた居心地の悪さは、
私はコーチに評価されていると感じてたんです。


だからまずは、
まるごと受け止められた、
承認されという感覚がないと、
コーチングは機能しないと思います。


私はこれまでにも何度か
「そこに答えがあるのに、
これだけ示してあげてるのに、
どうして分からないの?」
とコーチに言われたことがあります。


答えって何だろう?


コーチの考える答えに誘導する質問に
辟易としたことも。


もしかしたら、
早くに間違っていることに気づかせることで、
近道でクライアントさんは
ゴールに達するかもしれません。


でもそのゴールは果たして本物だろうか?


クライアントさんによったら、
コーチのお陰でゴールに行けました!
ありがとうございます!


感謝してもらえるし、
コーチも役に立てたという満足感を得られます。


でも私はマイコーチより、
クライアントさんの役に立とうなんて気持ちは
100%捨てるように!と教わりました。


役に立つ
感謝される


コーチとしてはやりがいを感じますが、
クライアントさんに依存心を持たせない、
ヨコの関係性を保ち、
クライアントさんの可能性を信じて
愛をもって寄り添う。


もし、クライアントさんが遠回りしても、
人生の大切な try & error の体験を
している勇気を見守り伴走する。


決してコーチのレールにのせない。


環状線の外回りと内回りを乗り間違えたり、
途中誤って下車して
別の電車に乗ってしまうことがあっても、
思いもよらない素晴らしい出会いが
あるかもしれません。


遠回りしてラッキーみたいな。


早くに結果を出すことに
こだわりのあるコーチもいます。


その為、無意識にクライアントを
自分の価値観の電車に乗せようとしたんですね(^^;


違和感というか
窮屈さを感じた私は、
思考や発想がどんどん狭くなっていき、
やってみたい!と思っていたことも
価値がないように思えてきて、
「何かやりたくなくなりました」
と答えていました。


コーチには
「やりたくないことは
しない方がよいでしょう。」
とコメントを頂きました。


本当は私はどうしたかったんだろう?


もしかしてコーチが言うように、
実際にやったら
違ってたと思ったかもしれません。


最初はワクワクしていたのが、
あれ?


でも、この"あれ?"
と感じることも大切だと私は思います。


"あれ?"
と向き合うことで学びになります。


そうしたら、
次回からは選択の精度が向上します。


コーチングを受けての感想は、
最初は同じプラットフォームに
いたつもりだけど、
お互いに別の電車に乗っていました。


でも電車が違うことに
クライアントの私が気づいて、
途中下車して、
コーチの電車に乗り換えたみたいでした。


これって私でも
思わずやってしまいそうです。


出きるだけ早くに結果を出して欲しいという、
コーチの勇み足(≧∇≦)


私は自律神経のバランスを整える、
つまりクライアントさんの
体と心に着目しており、
体と心が整うと勝手に最幸の未来に向かう!
それを応援するというらいふコーチングです。


だから"急がば回れ" みたいな
ゆっくりとした変容です。


なのでもし早めの結果を欲しいなら、
私とちょっと相性?波長?
が合わないかもしれません。


それから初めに書いたように、
最近は小学生とか年齢の低い方が
コーチングを受けるようになりました。


失礼かもしれませんが、
大学で教育学部を卒業した教師でも
間違いを犯します。


それがコーチングは本当に一対一で
親の介入もありません。


精神的にも物凄く影響を受けます。


ですからコーチは自分の倫理と法律に則って、
真摯に愛を持ってやる仕事だなあと、
つくづく思いました。





因みに、
私がこれ迄で最も楽しかったことというか、
ワクワクしたのは、
危機的なハラハラ場面ばかり。


私らしい(((((((・・;)


オーストラリアのメルボルンに行くのに、
途中立ち寄ったシドニーで
間違ってゲートを出てしまったとか。


(片言の英語とジェスチャーで必死に説明、
事なきを得ました)


やっとメルボルンに到着するも
預けた手荷物が見当たらないとか。


(ポツンと隅に放られてました)


中国で自転車レンタルして観光してたら
まさかの交通事故に遭い、
中国人が私の自転車を盗んでいったとか。


(一緒に観光していたオランダ女性が
取り返してくれました)


他にもたくさんあるけれとを、
やっぱり危機的な状況へ対処している
自分を俯瞰している時が
最高にワクワクして楽しかった。


何が楽しいかって?


自分という人間の可能性をみること。


「この状況をどうやって乗り越える?」


でも危機的な状況ってそんなに起こらないし、
頻発されても困ります(^^;


だから数年毎にやってくる
プチ危機的なワクワクが楽しみです。


亡くなる時もきっと
「◯才の時にはこんなことがあったんよー!」
と忙しそうな看護師をつかまえて、
愉しく話している場面がありありと浮かびます。





最後に、
私はマイコーチの理恵さんには
溢れんばかりの愛を感じており、
年齢は変わらないけれど信頼できることが
幸せです(*´ー`*)




※理恵さんは「りえずむ塾」を主催している
国際コーチ連盟の認定コーチです。

自分を無条件に信じて愛してくれる存在が
内なる自分と向き合う勇気をくれる
2018/10/29
あなたの "専属らいふコーチ" 川島初代